コラム・事例紹介

【まちをつくる仕事】迫一成さん(新潟市上古町商店街振興組合理事/ヒッコリースリートラベラーズ代表)前編

僕は上古町(かみふるまち)商店街というまちにお世話になったということもあるし、好きだからということもあるし、何とかする甲斐がある場所だと思っているし、もっとやれると思っているんです。そういう場所と、僕みたいなクリエイターのような人間との出会いは、もっと多くなっていくといいと思います。地方都市には、まちに拠点を置いて活動するクリエイターやデザイナーの活躍する余地が沢山あると思うんです。

そう語るのは、新潟の歴史ある商店街・古町(ふるまち)エリアにお店を持つクリエイターであるとともに、上古町商店街振興組合の理事としてまちづくりに取り組む、ヒッコリースリートラベラーズ代表の迫一成(さこ・かずなり)さんです。

迫一成さん
ヒッコリースリートラベラーズ代表・迫一成さん

政令指定都市である新潟県新潟市の中でも、江戸時代に北前船が寄港する日本海側最大の港町として栄えて以来、商業と業務の集積地であった古町。新潟で「まちに行く」と言えば「古町へ行く」ことだったほど、新潟のまちの顔となってきたエリアです。

2010年には百貨店・大和が撤退、さらに同じ古町十字路に立つエリアの顔とも言われた地域の老舗書店・北光社が閉店しましたが、古町エリアの中でも繁華街から少し離れた上古町商店街では、若手のクリエイター等が運営する雑貨店やカフェの出店が相次ぎ、若者や子育て世代をまちなかへ呼び戻しています。

上古町商店街
上古町商店街

こうした動きを牽引してきたのが、イラストやデザインを専門とするクリエイターであるとともに、24歳で同商店街に出店、27歳の若さで振興組合の理事に就任し、そのまちづくりに携わっている迫さんです。

迫さんは大学入学を機に生まれ育った福岡県から新潟に移り住み、大学卒業後の2001年に「日常を楽しもう」をテーマにしたクリエイター集団「ヒッコリースリートラベラーズ」(以下、ヒッコリーと略す)を結成し、自らのイラストをシルクスクリーンでプリントしたTシャツをはじめとするオリジナル雑貨の製造・販売をスタート。

以降現在まで、商店街に店舗と作業場を持つ製造小売業者として店舗運営を行うだけでなく、商店街の情報発信をはじめ、地元事業者と共同でのオリジナル商品の開発や、まちを舞台にしたアートイベントの企画・運営を行うなど、まちを拠点に活動するクリエイターとして、自身の創作活動、経営者としての事業活動、そして振興組合理事としてのまちづくりが一体となった活動を展開してきました。

hickory03travelers
1Fが店舗、2Fがギャラリーやワークショップの会場にもなるスペースとなっている、築80年の建物をリノベーションした店舗・hickory03travelers。徒歩1分にある作業場で製造したオリジナルTシャツをはじめ、ノートやお饅頭など近所の事業者と共同開発したオリジナル商品や、交流のある全国のクリエイターの雑貨などを販売

6名の若手スタッフを雇用する経営者でもあり、商店街に物件を取得した不動産オーナーでもある迫さんに、クリエイターの立場からどのようにまちづくりと関わってきたのかについて、お話を伺いました。

新潟で「始めること、続けること、出会うこと」

福岡県で生まれ育ち、大学時代から新潟で暮らすようになったという迫さん。なぜ、自身の活動の舞台として、地元・福岡でもなく、大阪・東京といった大都市でもなく、新潟を選んだのでしょうか。

迫一成さん

もともと、新潟で何かしようという気持ちはなかったんです。高校生の頃、社会学の行動科学やメディア研究という分野が面白そうだなと思って、たまたま新潟大学にはそういう分野があったので軽い気持ちで受験してみたんです。九州の人が北陸に来ることは少ないから、4年いれば友だちもできていいな、と。

実際に新潟へ来て4年過ごしたわけですが、大学のキャンパスは車で20、30分の郊外にあったので、学生時代は地元の人と関わることはなかったし、まちへの愛着は特にありませんでした。

大学では社会学やメディア論の勉強をしたんだけど、絵本作家になりたいという思いがあって、4年生の時に東京の専門学校に週1回夜行バスで通いました。そこで出会った絵本作家の先生たちが口を揃えて言っていたのが「始めること、続けること、出会うことがあったから、今の自分がここにある」ということでした。だったら自分も、何か面白いことを始めてみようと思ったんです。

やるんだったらどこがいいだろうと考えてみると、福岡は地元と言っても4年も離れているから事情がよくわからない。東京や大阪にはきっと自分がやろうとしているようなことを既にしている人は沢山いるだろう。だったら土地勘もある新潟でやってみよう、と思ったんです。

そこで大学を卒業した春からアルバイトをしながら、専門学校で出会った友人と一緒に上古町エリアの裏でアパートの2階を住居、1階を作業場にして活動を始めたんです。イラストを描いてそれをシルクスクリーンでTシャツにプリントする、ということを始めたんだけど、売り方もわからないし、今考えると何も考えていなかったわけです(笑)。

オリジナルデザインのシャツ
一枚一枚シルクスクリーンで刷られるオリジナルデザインのシャツは現在も売れ筋商品となっている

お店は“展覧会場”〜チャレンジショップから、古町三番町へ

大学卒業後、Tシャツをキャンバスにイラストレーターとしての活動をスタートした迫さん。走り始めたばかりの若手クリエイターの活動の舞台となったのは、空き店舗の著しい増加が問題となっていた中心市街地の地下街に地元TMOが2001年に設けたチャレンジショップでした。それまで商売とは縁のなかったクリエイターは、チャレンジショップへの出店がきっかけとなって製造小売業として商店街への出店を果たすことになります。

当時、アルバイト先だったNHKの職員の方が「地下街にチャレンジショップができるらしいよ」ということを教えてくれたんです。ただ、それを聞いた時は、自分がお店や商売をすることにはリアリティが湧きませんでした。当時の地下街はギャル服のお店が多かったり、「若手のチャレンジショップ」という触れ込みだけど仕込んでいるのは商工会議所のおじさんたちだったり、市役所や商店街の方とつながりがあったわけでもなかったので、自分たちとは縁がないと聞き流していたんです。

でも、ふと「毎日展覧会をする場として捉えれば、ありかな」と思って、専門学校で出会った友人と大学の先輩と3人で「ヒッコリースリートラベラーズ」というユニットを結成し、応募してみたんです。

そうしたら自分たちは若いし作り手だし、本来のターゲットだったから、商工会議所の方もいい場所をとってくださった。それが話題になって新聞や雑誌に取り上げてもらうようになったんです。

よく売れたのは、自分が描いたイラストをシルクスクリーンでプリントした、同世代の若者向けのオリジナルデザインのTシャツで、当初思っていたより売り上げが上がったんです。販売だけでなく、いろんなことが発信できる場所があるのはすごくいいし、みんなが勝手に来てくれるから、「お店って面白いんだな」ということに気づいたんです。

メンバー3人の共同経営というかたちで、毎月10万円ずつ貯金して100万円くらい貯めた時に「地上に出よう」ということになりました。

その頃借りていたアパートにも近くて、繁華街から少し離れて、古くからあるお店やレトロでかわいい建物も多くていいな、と思ったのが古町三番町でした。市の空き店舗対策として家賃の25%を出してくれる助成金もあったので、商店街の方と面識はなかったんですけど、相談に行ったら会長さんがオーケーをしてくださった。

当時は古町の一~四番町が一つのエリアとして何かしようという時期でした。そのための勉強会が開催されたりしていたので、出店をきっかけにその勉強会や会議に参加しないかと声をかけていただくようになったんです。

気がつくと、エリアをプロデュース

ヒッコリーの旧店舗
2003年に古町三番町にオープンしたヒッコリーの旧店舗(現在の店舗は向い側に移転)[ヒッコリースリートラベラーズのwebサイトより転載]

この古町三番町の商店街への出店を契機に、迫さんの活躍の舞台は自身の店舗だけでなくまちへと広がり、商店街のロゴの作成、ミニコミ誌の発行、ホームページの立ち上げ、イベントの企画・運営と、次々とクリエイターならではの視点から商店街の情報発信を仕掛け、実践していくことになります。こうした“商店街のプロデュース”とも言える活動を、当時の迫さんはそれとは意識することなく進めていったといいます。

上古町商店街のロゴ、カミフルチャンネル、上古町商店街のホームページ
左上から順に、迫さんがデザインした上古町商店街のロゴ、2004年から発行されているミニコミ誌「カミフルチャンネル」(部分)、上古町商店街のホームページ

商店街の会議に出席したりすると、あれもやったほうがいい、これもやったほうがいい、と気づくことが沢山あったんです。

アーケードのリニューアル等にむけて、任意団体だった一番町から四番町までの各商店会がひとつになって振興組合をつくろうというタイミングだったので、ロゴがあったほうがいいし、マップやホームページもあったほうがいい。商店街の方と話したり会議に出させてもらったりするなかで気づいたことを口で言うだけじゃ格好悪いから、やれることをどんどんやっていったんです。

たとえばカミフルチャンネルという“地図新聞”をつくったのは、それまでこのまちが何をしていたのか全然わからなかったからです。「そのイベントやったのはいつのことですか?」と聞いても、「いつだったかなあ……?」という感じだったので、「いつ頃何をしていたか」がわかるものを残さなきゃと思ったんです。

製作にあたっては、1口500円でお金をください、と言って各店舗を回りました。「一律1000円にして一度に徴収すればいいじゃないか」という意見もあったんですが、「どの店の、どの人が協力してくれるか」のリサーチを兼ねてあえて各店舗を回ることにしました。それぞれの個店にどうやって協力してもらうかということを一つとっても、そうやって工夫する余地が沢山あったんです。

カミフルチャンネル
2006年以降は年一度のペースで発行されている地図新聞「カミフルチャンネル」(写真は第9号の部分)。手のひらサイズの20センチ幅で、持ち帰って読みたくなるよう、あえて小さな文字サイズでデザインされている

こんなふうに、商店街の会議や勉強会に声をかけてくれたり、僕たちの提案を受け入れ、その実現に奔走してくれた振興組合専務理事の酒井幸男さんをはじめとする商店街の皆さんには、要するに引き立ててもらったわけですよね。お世話になったぶん、このまちに恩返しをしていかなくちゃいけない、と思うようになりました。

酒井幸男さん
上古町商店街専務理事の酒井幸男さん。「商店街としての取り組みは酒井さんとの二人三脚で進めています」と迫さん

まちを拠点として、自分たちの表現を展開する

エリアの情報発信やイベントなどを次々と仕掛けることで、若い来街者のみならず新たな出店者をまちに呼び戻してきた迫さんは、2006年に商店街振興組合が結成されると27歳の若さで理事に就任。もともとまちづくりに関心があったわけではなかった迫さんは、自身の活動が「まちづくり」として評価されるようになってきたことをどのように捉えていたのでしょうか。

もともと出席する人が少ない商店街の打ち合わせや会議によく顔を出していろんな取り組みも進めていたので、町内の代表の一人として理事に就任させていただくことになったんですが、特別な気負いのようなものはありませんでした。

ただ、デザインやアートの分野のトップランナーの方と出会うようになった時、「振興組合・理事」と書いてある名刺をお渡しすると、「若いのに面白いね、すごいね」と言われる。

そうやって上古町に拠点があることが僕たちのアイデンティティになってきて、これを大事にして、よりよいものにしていきたいと思うようになっていきました。

「まちづくり」をしようと思ったことはなかったんですが、印象に残っているのは、商店街の方に誘われて出た、NPO法人・新潟まちづくり学校が主催したワークショップです。「まちの明るい未来と暗い未来を考えてみる」というテーマだったのですが、お店が増えて人が来て売り上げが上がる、という未来が一方にあって、もう一方に駐車場が増えて人もいなくなって治安が悪くなり売り上げも上がらずに潰れる、という未来がある。まち全体がよくなることが自分のお店にとってもいいんだな、ということがわかって、「だったら今、決断してやっていかないとまずいな」と感じました。

そういうことがあって、視察に行かせてもらったり、自分で旅行する時に意識的にそういうところ見たりする中で、「これはうちでもできるじゃん」と思ったことをやっていった。地域が変わって作り手が変われば、同じことをやっても雰囲気が変わりますよね。

「自分がまちをどうこうしてやる」というつもりは今もありませんが、「まちを拠点として、自分たちの表現を展開していく」のはすごくいいことだと思ったんです。

築80年の物件を取得し、自らも不動産オーナーに

イベントペース「ワタミチ」
2006年にオープンしたイベントペース「ワタミチ」[ヒッコリースリートラベラーズのwebサイトより転載]

商店街振興組合が結成され迫さんがその理事に就任した2006年、ヒッコリーは当時のお店の向かいにイベントペース「ワタミチ」をオープンします。これは、それまで「渡道商店」として営業していた酒屋さんが閉店することから、その建物を再活用するというプロジェクトで、ヒッコリーが家賃を負担し、“誰でも”“何でも”開催OKの有料貸しスペースとして補助金なしで運営されました。

ワタミチでは、写真教室や日本酒教室といったカルチャー教室をはじめ、音楽のライブやトークイベント、演劇公演やワークショップが行われ、多い時で年間200件近くのイベントが行われたそうです。

このプロジェクトは2010年に幕を閉じますが、築80年の物件を迫さん自らが取得してオーナーとなり、リノベーションを経て現在はヒッコリーの新たな店舗となっています。

毎日挨拶をしていた、僕らの店の向かいにあった酒屋さんが閉店することになり、せっかく古くて味のある建物が使われなくなって、いずれ壊されてしまうのはもったいないと思ったんです。でもそう言っているだけではしょうがないから、自分で上手く使うことはできないかと考えて、借り上げることにしたんです。

一部を商店街の事務局として使ってもらったり、友だちの事務所やお店を入れるなど転貸したりすることで何とか家賃をやりくりして、広告宣伝費のような位置づけで期間限定の“上古町のインフォメーションスペース”とも呼べる場所を4年間、運営していました。

様々なイベントをやることでどんどん人が集まりいろいろなつながりが生まれ、ここに来た人がヒッコリーに仕事をくれたりするネットワークもできていきました。

ただ何年も続けていると、イベントをやらない平日はやっぱり寂しいし、一方で、一時期テナントとして入ってもらった古本屋さんには沢山お客さんが来る。お店に人が求めているのはやっぱり「欲しいもの」なんですよね。

ちょうどその頃、ある不動産屋さんが家主のおばあちゃんと勝手に話をつけようとして「壊すから出て行け」ということを言ってきた。これに「待った」をかけるには、自分が取得するしかないということになってしまった。

何千万円という買い物ですからいつになく悩みましたけど、新たにおむすび屋さんや洋服屋さんといったテナントさんにも入ってもらうことにして、銀行から借り入れをして、土地建物を購入しました。思い切って自分が大家さんになることにしたんです。

2010年のことですが、これを機に、イベントスペースとしての利用はやめて、ヒッコリーのお店自体をこの場所でやっていくことにしました。イベントは路上や他に空いているスペースを上手く使ってやればいい。自分がリスクを負って管理する場所では、本業の商売でもっと人が呼べるようにがんばることが、まちへの貢献にもなると考えるようになったんです。

リニューアルオープンしたヒッコリーの店内の風景
2010年にリニューアルオープンしたヒッコリーの店内の風景
後編に続きます

 

関連リンク

hickory03travelers(ヒッコリースリートラベラーズ)
上古町商店街
春山登山
にいがたワークバザール

 

登録日 2013年3月25日(月曜)00:00

ログイン

新規会員登録はこちら

メールマガジン配信内容募集中

マチイベ!(街のイベント)募集

-中心市街地活性化-まちづくり-サイト内検索

-中心市街地活性化-まちづくり-もっと詳しく検索する

好きなまちで挑戦し続ける

街元気パンフレット

街元気サイトツイッター

街元気facebook

  • -中心市街地活性化-まちづくり-経済産業省
  • -中心市街地活性化-まちづくり-中小企業基盤整備機構
  • -中心市街地活性化-まちづくり-全国商店街支援センター
  • -中心市街地活性化-まちづくり-中心市街地活性化協議会 支援センター
  • -中心市街地活性化-まちづくり-J-Net21 中小企業ビジネス支援サイト