コラム・事例紹介

【まちをつくる仕事】原田弘子さん(マネジメントオフィスHARADA代表/府中市中心市街地活性化協議会タウンマネージャー)後編

まちによって、ニーズは変わる〜人口4万人のまちのニーズと強み

商社の営業職・中小企業診断士を経て、呉市のタウンマネージャーに就任、2年間で30件余りの新規開業を実現するなどの成果を上げたマネジメントオフィスHARADA代表の原田弘子さん。呉市での任期を終え、赴任することになったのは同じ広島県の府中市でした。

府中では2007年に赴任して以来現在まで、中心市街地活性化基本計画の核事業である老舗旅館「恋しき」の再生の支援をはじめ、中心市街地活性化協議会の運営を通した複数の事業の立ち上げ、NPO法人府中ノアンテナの設立、遊休不動産を活用したエリア開発など、様々な成果をもたらしています。

とはいえ、県内第二の都市である福山市に隣接する人口およそ4万3千人の府中市は、衰退局面にあるとはいえ商店街には店が並ぶ人口20万を超える呉市とは様相が違います。シャッターを降ろしている店も多い小さなまちでのまちづくりに、原田さんはどのように臨んだのでしょうか。

「恋しき」(左)と、府中学園(右)
2007年に認定を受けた府中市中心市街地活性化計画の核事業として位置づけられている、登録有形文化財の旅館を再生した「恋しき」(左)と、府中市立小学校・中学校を小中一貫校として整備した府中学園(右)

府中市には2007年10月にタウンマネージャーに赴任したのですが、その年の5月に中心市街地活性化基本計画の認定を取得し、まさに計画の推進に取り組もうとするところでした。その核事業としては、中高一貫校の整備とともに、「恋しき」という国の登録有形文化財に指定されている旅館だった建物の再生が挙げられていました。

タウンマネージャーとしてまちの強みを見つけ、まちづくりの方向性を決めて、それを実現していくための事業を開発・コーディネートしていくことは呉と変わりませんが、そこで求められるのはいわゆる商業活性化ではないことはすぐにわかりました。商店街組織がすべて解散している府中で、呉のような商業活性化は難しい。

けれども、「府中家具」として知られる家具産業をはじめ、上場企業の本社が4社もあり「ものづくり」に関わる産業が強みであることは、基本計画でも重要なテーマになっています。そこで、「教育」と「ものづくり」をまちづくりの二本柱としてメッセージを打ち出し、すべての事業がこの2つの柱につながるようにしたいと思っています。

原田弘子さん
原田弘子さん

活動する協議会〜やりたい人がやりたいことを事業にする〜

タウンマネージャーの役割を「まちづくりの方向性を見いだすとともに、市民、企業を含めて何をやりたいかを吸い上げて、どうやって事業を進めていくかを調整すること」と言う原田さん。府中では、「教育」と「ものづくり」という二本柱を掲げるとともに、事業を進めていく担い手の発掘と育成をどのように進めていったのでしょうか。

中心市街地活性化協議会の運営業務では、「活動する協議会」をテーマに4つの委員会を組織し、まちづくりを実施していく主体としました。

府中ではまちづくり会社があるわけでもなく、予算もない。そこで、中活協議会を、事業を実施していく主体として組織することにしたんです。協議会でワークショップを行い、参加者の方のそれぞれの思いややりたいことをもとにグループ分けをして、市民コミュニティ参加委員会、まちなか美化委員会、歴史文化委員会、企業参加委員会という4つの委員会をつくりました。各委員会の事業として何をやるかは私ではなく、参加メンバーが決めています。

やりたい人がやりたいことを事業にしていくというのは、予算がないこともありますが、予算がついている事業を後追いで実施するよりも継続性が高いからです。もともと「やりたい」というモチベーションがあるうえに、どうやったら実現できるかを考えて工夫した結果、それが成功すると達成感が得られて、それがまた次のモチベーションにつながっていく。

中活協議会にはいろんな組織のトップが入っていますから、銀行の支店長、観光協会のトップといった方々に各委員会の委員長を務めてもらっていて、そうした方々に中心市街地活性化についての理解を深めていただき、主体的に参加してもらうよう働きかけるための組織になっていると思います。

たとえば市民コミュニティ委員会のリーダーである銀行の支店長さんが動くと、20~30代の若い行員さんがどっと動く。同じくそのメンバーである副市長が何かすれば、市の若い職員さんが動員される。そうするとまちなかで一定数の若者が動くことになる。そうやって実際にまちなかの清掃や花壇の整備に始まり、まち歩きマップづくりや夜店イベントなどが行われています。

まちの人の「やりたい」思いを継続する形で具現化していく

参加者のモチベーションを軸に中活協議会を「活動する協議会」としてオーガナイズした原田さんは更に、これまで「まちづくり」とは関わりのなかったものの、「やりたい」という思いを持った市民や民間の事業者との出会いを通じて、自身もメンバーの一人となってNPO法人・府中ノアンテナを設立します。

同NPOの代表理事に就任したのは、東京からUターンし、まちなかで祖父が経営していた「平地呉服店」の建物を再活用したいという思いを抱いていたデザイナーの平地緑さん。他の役員も、いわゆる「まちづくり」ではないけれども「まちなかで面白いことがしたい」という強い思いを持った人々がメンバーとなっているそうです。

府中の魅力を発信するフリーペーパーの発行やポータルサイトの運営、市勢要覧の編集・製作など、精力的な活動を行っている代表理事の平地さんにとって、原田さんはどんな存在なのでしょうか。

平地緑さんと、フリーペーパー「府中ノ?(ハテナ)」
NPO法人・府中ノアンテナの代表理事を務める平地緑さんと、NPOが発行するフリーペーパー「府中ノ?(ハテナ)」
旧平地呉服店
広島県の近代化遺産にも登録されている、府中ノアンテナの拠点・旧平地呉服店

平地さん:「まちづくり」には素人である私たちが「やりたい」という思いだけで動いてしまいがちなところを、お金や運営体制を含めた具体的な活動に落とし込んで、それを続けていくために引っ張ってくれるのが原田さんなんです。

私は東京から生まれ育った福山にUターンしてきて、府中に住んでいたおじいちゃんがやっていた呉服屋さんの建物を改めて訪れてみたら、すごく魅力的で、この場所を使って何かしたいと思っていたんです。漠然と「カフェにでもできないかな」と思いはしたものの、何から始めればいいのかわからず、難しいなと感じていたところでした。

NPOをつくるという発想もなかったし、つくり方もわからなかったんですけど、原田さんや他のメンバーと出会ってから、倉庫のようになっていた建物内の片付けと補修が一気に進み、1階を会場にして府中の魅力を伝える写真展を開きました。原田さんと出会ってたったの2ヵ月半でそこまで進展があって、「これからもこういうことを続けるんだったらNPOにしたほうがいいよね」という話になったんです。

集まったメンバーは、「府中の魅力を発信していきたい」というシステムエンジニアがいたり、「子育て支援をしたい」という“イクメン”がいたり、それぞれ自分の持っている能力を生かして何かしたい、という思いを持っていて、私自身も建物の活用だけでなく、故郷で自分のデザインの力を生かしたいと思っていました。そうやって各人のやりたいことを思い思いに話しているのを、あっという間に原田さんが定款にまとめ、申請まで持っていってくれたんです。

私も他のメンバーも、当初は自分たちのやりたいことが「まちづくり」だとは思っていなかったんです。私たちは「これがやりたい」という思いばかりが先走りがちなのですが、原田さんと相談しながら事業が一つひとつかたちになっていく経験を通して、最近は「どうすると自分たちの活動がまちづくりとして続けていけるのか」を意識するようになっています。

現在と未来、まちで暮らす人が幸せになる姿を夢見ながら

府中ノアンテナのような新たなプレイヤーと事業の開発・コーディネートと並んで、原田さんが府中に赴任して間もない頃から仕掛け、現在徐々にそのかたちを見せ始めているのが遊休地を活用したエリアの再開発です。

その舞台となっているのは平地呉服店と同じ商店街の100m余り離れたところにある「みんなの公園」。この公園は、都市銀行の支店が撤退し建物が取り壊されて更地となったまま仮囲いに覆われていたスペースをまちなか美化委員会の活動の拠点として利用するために、原田さんが市と不動産オーナーをコーディネートすることによって生まれたスペースで、現在は同委員会による花壇づくりが行われているほか、市民によるマルシェイベントが開催されるなど市民活動の拠点となっています。

白い壁に覆われていた空き地から、原田さんはどのようにこのまちの未来を描いていったのでしょうか。

みんなの公園
みんなの公園

仮囲いされたままの遊休地をどう活用するかを考えた時、新たな商業施設をここでやっていくことは難しいし、公民館のような施設も既に十分ある。仮に何か建てたところでその投資を回収できるとも思えなかったので、公園にしようと考えたのは消去法的選択の結果でした。ただ、それが協議会のまちなか美化委員会の活動の拠点になって、少しずつまちの風景が変わり始めた。

今は暫定的に土地を借りているので根を張るものを植えることはできませんが、この公園の両側の空き店舗に、カフェやパン屋さん、それからものづくりをしている若手のクリエイターのお店を入れられないかと策を講じているところです。それが実現してきた時に改めて公園ワークショップをして、木を植えたり、ということもあるかもしれない。公園の隣にカフェやパン屋さんのある風景っていいでしょう。

そういうふうに、遊休不動産や市民活動、店舗の誘致といったことを戦略的に組み合わせていくことで、エリアの再開発というところまで展望が開けてくる。例えるなら、ルービックキューブみたいなものだと思います。将来を見据えて戦略を描きながら面をつくっていって、2面が揃ってもあえて一旦崩すとか、ずっとカチャカチャやっている。それがピタッと合った時に事業がかたちになる。数年かけてやっとかたちになる事業もありますが、実現した時の達成感というのは、やはりサラリーマン時代とは比べものになりません。

実は、私自身の「やりたいこと」リストを持っていて、それを年2回、市役所に提出しているんですが、それが一個ずつ叶っていっているんです。府中に入った時からずっと考えていたことが少しずつ動いてかたちになってきている。現在と未来、両方を見据えながら、府中のまち、府中に暮らす人の生活をともにつくっていく。自分の仕事によって、幸せになってくれるはずの人の数は、すごく多い仕事だと思います。

まちづくりを職業として

民間企業での営業職としての経験をバックグラウンドに、タウンマネージャーとしてまちづくりの世界に入り、まちの強みを見つけ、その実現に向けて、市民や企業の思いを事業にコーディネートしてきた原田さん。まちづくりを専門とする職業であるタウンマネージャーの仕事について、どのように考えているのでしょうか。

タウンマネージャーに求められることはまちによって様々だし、その人によってやり方も違うと思います。わたしは診断士という資格を生かしたスタイルだけど、例えば、建築や再開発の投資回収などは専門外。基本となるのは、まちのみんなが何を考えているのか、何をしたいのかを察知することだと思います。できないことは専門家を呼んでくればいい。そのなかでまちの方向性、まちの強みを見つけていく。だけど、結局、まちの人が動かないと進んでいかないんです。

私は「まちづくりは人づくり」というフレーズは好きではなくて、人はそんなに簡単に変わるものではないと思っています。誰もがこれまでやってきたことの延長でしか物事を考えづらいし、変わることは怖いと思ってる。

それを前提に、私が任期を終えていなくなった時に、地元の方がやりたいことをやりやすいようにようシステムとしてお渡しするまでが、私の仕事だと思っています。だから、今あるNPOの他にも、必要があれば新しい組織をつくり、リーダーシップの取り方のようなことも含めて、システムとしてお渡しできるようにしたい。

そのために意識していることは、まちに無条件に同化しちゃいけないということです。まちづくりをしていると、「まちのことを無条件に好きであるべきだ」という空気は生まれやすくて、当事者になればなるほど、「うちのまちは特別だ」「うちのまちは補助金を受けて当然だ」ということに絡め取られやすい。

だから、自分へ言い聞かせる意味も含めて、会議ではよく「私はヨソ者ですから」「来年はいないかもしれませんから」ということを言います。

営業職だった私の場合、タウンマネージャーという仕事は「まちを売るセールスマン」のようなもので、商品として嫌いだったら売れないけれども、プロとしては無条件に好きであってはいけない。距離を置いて、私情を挟まず、冷静な目を持ちながら、「商品」としてまちを愛そうと心がけているんです。その上で、地元の方々が最初はわかってくれなかったことが事業として成り立ったり、「そういうことをやりたい」と言われた時は、すごく嬉しいですね。商品が売れた、という前職の時よりも、すごく嬉しいです。こんなに面白いことがあるのか、と思いますよ。

関連リンク

府中市中心市街地活性化協議会
NPO法人府中ノアンテナ
  府中市中心市街地空き家等活用推進協議会

登録日 2013年3月28日(木曜)00:00

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