コラム・事例紹介

第61回 まちづくりコラム 岩村田商店街の「佐久っ子ワオンカード事業」(前編)阿部眞一

阿部 眞一

阿部 眞一(あべ・しんいち)

岩村田本町商店街振興組合 理事長
平成14年、同組合理事長就任後、地産地消・手作りをポリシーとする総菜販売施設「おかず市場」や、チャレンジショップ「本町手仕事村」、商店街直営塾「岩村田寺子屋塾」などを商店街独自で開設。当初、商店街には42店舗中15店舗の空き店舗があったが、事業推進の結果、すべての空き店舗の解消に成功。補助金や行政に頼らないまちづくりのモデルとして全国から注目を浴び、平成22年度「にっけい子育て支援大賞(日経新聞社)」、平成23年度「あしたの町、くらしづくり活動賞・内閣総理大臣賞(あしたの日本を創る協会他)」受賞。

1、岩村田本町商店街振興組合の設立

 長野県佐久市岩村田。長野県の東の玄関と今では呼ばれるようになった佐久市。避暑地で有名な「軽井沢」に隣接した、中山道の22番目の宿場町。甲州にもつながる街道をもっているため、交通の要衝として古くから賑わった町。廃藩置県の前は岩村田藩という、内藤氏の治める城下町でもあった。昭和40年代に、防災街区の認定を受け、当時としては珍しい2階~3階建ての商業ビルが立ち並ぶ商店街。アーケードの長さは南北に210m。中山道を挟むようにのびている。商店街の再全盛期には78店舗がひしめいていた。「岩村田」にいかないと欲しいものは手に入らない時代。「岩村田」にいけば、「わくわくする」経験をした時代、その古き良き「岩村田商店街」を記憶にとどめている、大人たちはまだ多い。

 大きな転機は平成8年8月。平成10年の長野冬季オリンピックの開催が決まると、上信越自動車道「佐久IC」の開業、長野新幹線「佐久平駅」の開業など、当商店街を取り巻くように、数百メートル圏内の交通インフラ整備に加速がかかった。今まで、広大な農業用地であったところに次々と、バイパスができ、その道路沿いに次々とナショナルチェーンが進出。あれよあれよという間に、どこにでもあるような、4車線通り沿いの、どこにでもあるナショナルチェーンの店が立ち並んでいった。岩村田商店街の中央を分断している中山道は、かつては国道であったのだが、商店街を回避するように作られたバイパスが国道にとってかわり中山道22番目の宿場町のメインストリートは県道に格下げとなってしまった。

 岩村田一帯の売り場面積は約2万平方メートルに拡大、岩村田商店街はその中のわずか数%を占めるにすぎなくなってしまった。人の流れは一気に変わり、買物はすべて大型店やパワーセンターへ。1980年代まで黄金期を誇った、「きらめく商店街」は一気に消え失せ、「シャッター通り」と呼ばれるのに時間はかからなかった。

 若者たちは、なんとかしなければと立ち上がった。先輩の理事には退いてもらい、平均年齢36.7歳の理事で構成される「岩村田本町商店街振興組合」を平成8年8月9日に立ち上げた。若者たちは、必死の想いで、客を集めようと「日本一イベント」と称して数々の一大イベントを精力的に展開、2,000人から3,000人集めて、「どうだ!」という満足感に満ち溢れていた。地域のお客様からは喜ばれ、イベントをやることにその意義を感じていたが、理事の思いとは裏腹に、組合員からは「やめてほしい」の声が引きも切らない。一大イベントとなると、組合員あげての人出が必要となり、かかりっきりにならなければならない。昔のように、イベントをやれば、お店は放っておいても、お客であふれ、在庫はなくなり、売れて売れてしょうがない・・・という絵にはならなくなってしまったのだ。つまり、何千もの人が、無料のイベントだけに参加し、お買い物は、大手集積の集まる地域で済ませて帰っていく。「イベント神話」は完全に崩れ、平成11年を最後に日本一イベントは取りやめた。このように、大形集積の進出によって、商店街は、その影響をもろに受けて、商店街機能が一気に疲弊、42店舗の内15店舗がシャッターをおろす状況に陥ってしまった。

 そこで、我々は、「何のための商店街か?」について、勉強をし直すことにしたのである。商店街活性化のための若手経営者の勉強会を重ねて商店街の理念を構築することにしたのだ。これまでは、自分の家の商売のことしか考えず、商店街をどうするなどという発想に立ってはいなかった理事たち。勉強大っきらいの理事たちが「本気で勉強して」理念を打ち立てた。

2、岩村田商店街 理念の確立

「地域密着顧客層型商店街」「ともにいきる、暮らす、働く」

おいでなん処
おいでなん処

本町おかず市場
本町おかず市場
 これを実現するために、空店舗対策に着手。まずは、空き店舗を何としてもなくしていこうと、空き店舗対策に着手したのである。

 第一号は、平成14年、コミュニティスペース「おいでなん処」を開設。

 平成15年には後にコミュニティビジネスモデルとなる「本町おかず市場」を開業。収益ビジネスとしてその後の活性化事業の基盤を築くことになる。

 平成16年にはチャレンジャーショップ「本町手仕事村」を開設、起業希望者を募集し、安価な家賃で、事業を開始させ、軌道に乗れば、他の広い空店舗を斡旋して開業させる形をとった。これにより、その後、4店舗の空店舗が解消。

本町手仕事村

本町仕事村

手仕事村から、独立し、空店舗を解消 手仕事村から、独立し、空店舗を解消 手仕事村から、独立し、空店舗を解消

手仕事村から、独立し、空店舗を解消

 平成17年には「都市再生整備計画に関わる岩村田地区活性化構想」を組合独自で策定。商店街の活性化構想を、ゾーニングという形で設計した。自分たちの町は自分たちの手で建てなおす。そんな気概の中で、独自の活性化構想を構築していった。

 

 

登録日 2014年1月28日(火曜)01:53

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