コラム・事例紹介

風景の一部になる
地元出身だからできる地域のまちづくり(後編)
埼玉県寄居町・タウンマネージャー 上田 嘉通さん

上田 嘉通

上田 嘉通(うえだ よしみち)

早稲田大学大学院理工学研究科を修了後、海外の都市開発や、日本の島々の振興や調査・研究に携わり、人とのコミュニケーションを通した地域づくりの実績を持つ。2018年出身地の埼玉県に帰り株式会社小田屋設立。株式会社まちづくり寄居タウンマネージャー・一般社団法人離島総合研究所代表理事・株式会社JTB総研客員研究員などを兼任。37歳。

寄居町に戻ってこられてからのお仕事、活動内容はどのようなものですか。

 寄居町に帰ってきて、株式会社小田屋という会社を立ち上げました。小田屋は、祖母がやっていた商店の屋号です。仕事は、まちづくり会社の委託を受けて、タウンマネージャーの業務を担当しています。和菓子屋さんですかと尋ねられるような古風な名前ですが、祖母の想いも継いでいきたいという思いもあり、あえてその名前を採用し、名刺には家紋も入れました。
 寄居町は2018年3月に中心市街地活性化計画の認定を取得しました。そのため、今後5年間にわたって事業が進んでいきます。私の一番のミッションは、まちづくり会社が担う、特に地域の稼ぐにつながる事業を軌道に乗せるという点です。現在、寄居駅前拠点の開発計画をプランニングしており、駅前といっても、ポテンシャルをあまり感じない寄居駅前を、どのように魅力あるまちにできるかについて、考え、悩んでいます。まちづくり会社が開発主体でリスクを負いますので、まちづくり会社にとっては死活問題といえます。会社を潰すわけにはいきませんので、多様な専門家の知恵も借りながら、進めていく必要があります。

 また、ソフト面の取組としては、空き店舗の活用があります。寄居町は、商店街といっても住宅と商店がまばらに並ぶような配置ですので、賑わいのある感じではありません。ここでも他地域と同様に、空き店舗が増えています。空き店舗を利用し、新しい事業を始める方をいかにして増やしていくかが当面の課題です。例えば、マルシェイベントは、“プチ”創業したい人がお試しで出店することができますが、これは創業のひとつのきっかけになると思います。その際、商工会の創業支援や経営支援のサポートが手厚いことや、これから創業を検討されている方々を対象とした「創業塾」があることを発信していきたいと思っています。
 また、空き店舗とのマッチングも必要ですので、「空き店舗フェア」を開催しています。基本的に、市街地の空き物件は、まちづくり会社が一元管理をしており、全て見学することが可能です。年に1回程度、空き店舗ツアーというイベントにしたり、個別に案内したりしています。今年は創業塾と空き店舗ツアーを同時に行いました。

ネーミングがおもしろいイベントを数多く立ち上げられていますが、まちの人の意識を変えるためにどのような手法を取られたのでしょうか。

 私は運良く、商工会の会長や副会長と話をする場にいることができたのですが、その場には若者は誰もいませんでした。年配の方々は年配の方々で集まり、若者は若者で集まっています。それぞれ思いを持って活動しているのに、全く繋がっていません。自分の仕事やミッションではありませんが、世代を繋げる役割を担っていかなければならないと感じています。
 寄居町に帰る少し前から「寄居わからんナイト」というイベントを始めました。若者の「わか」に、ベテランの「らん」を付けて「わからん」です。若者は、年配の方々がこれまで何をしてきたのかを知らず、「自分たちはこれからこうしたい、ああしたい」と思っています。一方、年配の方々は、「若者の考えが理解できない」と思っています。コミュニケーションがきちんと取れていないため、お互いのことが分からないという状況です。そこで、若者とベテランが交流し、お互いのわからないことを解消していくことを目指し、取組を始めました。
 2018年の3月から12月まで月1回のペースで開催しました。様々なお店を知る機会となるよう、毎回違うお店で開催しました。初めて来る人は1人10分間の自己紹介をします。10分間で、自分は今何をしていて、なぜ今寄居町に関わっているのかについて話して頂きます。年配の方々の中にも、東京に出ていたことがある方もたくさんいますので、なぜ帰ってきたのかを話して頂きます。若者はいまの姿しか知りませんので、興味を持ちます。東京でバリバリと活動してきた姿など知らないので、そういったことは逆に新鮮に写っているようです。とても好評で、回を重ね、25~30人の方が集まるようになりました。
 その後、仕事が忙しく、イベント企画の手が回らなくなったこともあり、「わからんナイト」は「寄居町100人カイギ」という次の仕組へと切り替えました。「寄居町100人カイギ」は、毎回5人のゲストが、1人10分で話をします。毎回5人で全20回やると100人になりますので、そこまでたどりついたら解散します。一度に100人が集まるわけではありません。ゲストとして話をするのは、寄居町の出身者や、在住、在勤、在学など、何かしら関わりがある人です。有名人だとおもしろくありませんので、「こんな人もいるのか」といった新しい発見があるようにしたいと思い、その点を意識して人選をしています。町役場が主催している若手のまちづくり会議、若者会議に活発に参加している若者4人と私の5人で運営チームを作り、始めました。「100人カイギ」は東京の港区で始まったもので、渋谷などいろいろなところで開催されています。仕組みがしっかりできており、運営の負担が少なくなるよう、工夫がされています。

寄居町100人カイギ

寄居町100人カイギの様子

年配と若者のコミュニケーションはなかなか難しいと思いますが、どのような工夫をされたのでしょうか。

 私は37歳であり、若者と年配のちょうど中間ぐらいの年齢となります。だからこそ、両者の声に耳を傾けることができ、両者を繋げられたのではないかと思っています。
 商工会会長をはじめとする年配の方々も、この街を良くしたいという想いがあり、30年前は活発にまちづくりを行っていました。それが基礎となり、今の色々なまちづくりへと繋がっています。一方で、年配の方々からは、「当時の大人や役場は話を聞いてくれなかった、特に商店街や地域の年配の方々は全く相手をしてくれなかった」と聞きます。年配の方々が若者を受け入れていたら、もっとよいまちづくりができたのかもしれません。また、年配の方々にとってみると、30年前に自分たちができなかったからこそ、若者たちがやりたいと思うことを応援したいという気持ちもあると思います。それが合意形成に繋がっているのだと思いますし、年配の方々ががそういう自らそのような環境を作ってくれているのはありがたいですね。
 昭和62年、地域では伝説になっているイベント「Yoriiあらかわめっせ」を開催したリーダーが当時37歳で、メンバーはリーダーより少し若かったそうです。私は今、当時のリーダーと同じ37歳です。若者会議で関わっている人が30歳前後ですので、当時と今の境遇は似ています。そういったこともあり、今回、「Yoriiあらかわめっせ」というイベントと同じ名前のチームを作り、マルシェを立ち上げました。同じ名前であることで、みんなが応援したくなる流れが生まれます。例えば、当時のロゴを若者がいいねと言って使ってくれるようになったり、「Yoriiあらかわめっせ」の伝説について話して頂いたりすることで、年配の方々と若者がさらに仲良くなっていきます。ちなみに、当時は幕張メッセが建設される前でしたので、日本で最初に寄居町が「めっせ」という言葉を使ったのですよ。

荒川

寄居のシンボルのひとつ 荒川

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関連リンク

株式会社まちづくり寄居
離島総合研究所
JTB総合研究所
風景の一部になる 地元出身だからできる地域のまちづくり(前編)


登録日 2019年3月29日(金曜)00:00

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